体験談

瞑想中のメッセージ

瞑想中のメッセージ

私は朝起きてすぐと夜寝る前の一日二回、瞑想をしています。

先日もいつものように瞑想をしていたら、”上の人 ” からメッセージを受け取りました。(肉体を持たず、私たちを守ってくれる存在を”上の人”と呼んでますww)

瞑想中に限らず、メッセージは昔から受け取っていたんです。頻繁ではないけどね。

こういう話をすると、どこの誰からのメッセージなのか…名前は…と聞かれることもあるけど、そこんとこ私は気にしたことがありません。それよりもメッセージの中身が重要だよなって思っているので…。

瞑想・祈り・感謝・報告など…これらを毎日行い、目で見えないものの存在に疑いを持っていないから、上の人たちとの繋がりが少し強いのかもしれない。

受け取るメッセージは短いものばかり。でもそれは、今の自分に必要なことであり、短い中にも奥深い意味が込められている。そして温かい。


私の祈り

私はいつも”私の思い”を祈り捧げていた。

それは物質的なものではなく、精神的なもの。

生きる目的は”霊的成長”。なので祈りも霊的成長に関するもの。

自分自身の霊的成長と同時に、世界中の人々が一日も早く、一人でも多くこの世の真理に気づき、魂の喜びを感じながら成長していきますように…そのために自分を道具としてどうぞお使いください…みたいな。

今回受け取ったのは、この祈りの中心となる心へのメッセージだった。

多くの人がこの世の真理に気づき、霊的成長をしていくと、世の中は今よりずっと良くなっていく。心、そしてこの世の平和に繋がっていく。

真理、法則を伝えるということは、法則を知らずにいることで人生を辛く苦しいものにしてしまっている人を救うことになる。

だからこそこの世の法則を、受け取る準備のできた人に伝えていく。

この思いはメッセージを受け取る前とは変わらない。


一人称ではなく…

みんなで一つ

ただ…その思いの中心となっていた心が、『苦しんでいる人の救済のため、世の中の平和のため』と言いながら、自分中心だったことに気づかされたんです。

心のどこかで驕り高ぶる自分がいた。それは祈る心にもしっかりと表れていた。

『一人称』

メッセージの中のこの言葉が、私の未熟な部分を的確に示してくれたんです。

物質と精神。二つの世界が同時に存在している中で生きている私たち人間は、自分が霊的存在だということ忘れがちになります。目で見えるものだけが真実だと思い込んでしまいます。

そしてあなたと私、というように、自分とその他の命を別のものだと考えてしまう。

だけど本当はみんな繋がっているんですよね、深い部分で。

元をただせば私たちは一つ。この真実をわかっているにも関わらず、私は私個人の祈りを捧げていたんです。

そう、一人称。一人の独立した、個別の命として祈りを捧げていた。

一人称を使っての祈り自体は問題なくても、心の軸となる大元の部分が一人称なのは、やはり自然の摂理に沿っていない。

…言葉で表現するってなかなか困難なことだな。受け取り感じたことをきちんと言葉にできてないww

もしかしたら、感じたものと違う意味で伝わるかもしれない。

だけどとても大切なことを、メッセージを通して教えてもらった。

深いところではみんな一つだということはわかっていた。精神世界を学んでいる人の多くは知っていることだと思います。

決して疑うことはなかったし、素直にその事実を受け止められていた…うん、でもきっと、ただわかっていたつもりになっていたのかもしれない。自分が思っている以上に我が強かったのかもしれない。

”上の人”はちゃんとそれをわかっていて、導いてくれたんだね。本当に心から感謝。

この地球上では、人と自分を全て融合させることはできないけど、物質と精神世界の中で生きているからこそできる経験、成長の仕方があるんだと思う。

この肉体が最期を迎えるまで、全てのものの成長と平和を祈り続けよう。


メールマガジンメールマガジン『幸せになる習慣』

幸せな毎日を送るためのメルマガを週4回発行しています。

登録はこちら