幸せに生きる

本当に望むもの

本当に望むもの

何となく毎日を過ごすのではなく、生きがいを持って生きていたい。

目指すものに力を注ぎ、困難に打ち勝ち、命を輝かせていたい。

そんな生き方をしていけたらとても素敵です。

きっと誰もが幸せを望んでいるでしょうし、不平不満を言い続けている自分より、イキイキと前向きな気持ちで生きている自分の方がいいと感じると思います。

多くの人が『そうなったらいい』と思っていることなのに、そうなれている人が少ないのはなぜでしょう。

”世の中そんなにうまくいかない。思い通りになんてならない。みんな我慢しながら生きているんだから…”

そう妥協して生きている人が多いのは、喜びを諦めているのはなぜ?


思いを書き出す

ところで、自分が本当に望むものって何でしょう。

私は昔、『なりたい自分・理想の自分』を紙に書き出していました。

  • 仕事で成功し年収〇〇円稼ぐ
  • 高級車に乗る
  • 高級マンションに住む
  • 自由な時間を手に入れる
  • 素敵な仲間がいる…などなど

書き出せばキリがないほど求めるものがもりだくさん。もう欲だらけでした。

やらずに諦めるのは嫌。このままでは嫌。今より良くなりたい。

当時は何とかして自分を変えたい!現状を変えたい!と必死だったので、思いを紙に書き出し望むものを視覚化し、常に意識するようにしていたんです。

やったことのある人はわかると思いますが、最初に書くことって”物質的なもの”が多いんですよね。

〇〇が欲しい・〇〇になりたい、みたいな。

で、だんだん書き出すものがなくなり、手が止まった後に書き出すものには”精神的なもの・目に見えないもの”が多くなってくる。

表面的なものではなく、心の奥にあるものを意識するようになってくる。

自分の望むものを意識し、それに向かって努力を始める。

”これで自分は変われる。今変わっていっているんだ”

そんな高揚感に浸りながら進み続けていきました。

でもある日、ふと思ったんです。

『これって本当に自分が望んでいるものなの?』と。


『心』にただ素直に向き合う

我に返ったというのか…『求めるもの・なりたい自分』に違和感を感じるようになったんです。

求めているのもは自分にないものばかり。そしてそれを手に入れること、そういう環境に身を置くことで幸せになれると思っていた。

何かを手に入れ優越感に浸り、人からの評価されることに自分の価値を見出そうとしていた。

どこまでも”自分・自分”。自分中心。

『人のためになることをしたい』という思いはもちろんありましたが、それが何とも薄っぺらくて、精神的なものでさえどこまでも利己的なことに一種の不満を感じ始めました。

進んでいる、努力しているという実感が伴っていたから、心が錯覚を起こしていたのかもしれません。

そんな時、頭に浮かんだのは『もし肉体がなかったら、物質的なもののない精神だけの世界にいたとしたら、自分は何を望むだろう』という思い。

お金や立場、肩書や名誉…そういうものが一切なかったら、そこで望むものがきっと本当に自分が望んでいるものなんだろう、と。

そう考えた時、『人を救いたい・人のお役に立ちたい』という気持ちだけが残ったんです。

それが自分の命が望むこと、そしてそこに本当の喜びを感じるんだと気づいていきました。


命の声を大切に

物質的なものを手に入れることは嬉しいですし、何より最低限生きていくためのものは必要。

でも必要以上に何かを手に入れることを本当に心が命が望んでいるのか、人生をかけて命を懸けてまで求めるものなのかと考えると…何かが違うと心が訴えてくる。

そんな気づき以降、命の声を大切にしています。

本当に命が求めているもの、本当に命の喜びに繋がることをしていこうと。

私にとってはそれが”奉仕”でした。

誰かが喜び、誰かが笑顔になる。気持ちが少し前向きになったり、ホッとできたり…それってすごいことだと思うんです。

そのために私ができることはほんの些細なことかもしれません。それでも何かしら人のために世の中のために自分を使うことができるのなら、そうしていこうと思っています。

その道にはいろんなことが待ち受けていると思いますが、それでいい。

心に命に正直にこれからも努力をしていきます。